90年代トリビア講座「オヤジギャル」と「週刊現代」 | コラムニスト・ニャー

90年代トリビア講座「オヤジギャル」と「週刊現代」

安寧ハセヨ?
ちょぬん、ニャー教授、いむにだぁ。

第3回目の講義は、お待たせ、「オヤジギャル」についてです。
オヤジギャルの発生は、今からさかのぼること15年前。黄金のバブル経済が世界を席巻していた時代です。
当時、ちょっと肩書きの偉いオヤジさん達は、「感性の時代」という広告代理店の方針にのっとり、なんだか訳の分からんデザインや、高機能、小型化が最先端とされていました。そんな風潮を週刊現代などは面白おかしく記事にして、一般オヤジにも、そういう時代の認識を広めることになりました。

さて、そんな週刊現代を読むのは、脂ぎった(脂がのった)オヤジだけではありませんでした。そうなんです。20代前半(下手すりゃ、10代後半)の女性も読んでいるのです。それも正々堂々と電車のなかで、開けっぴろげて読むのです。

じつは、こういう女性こそが先端を突っ走っていたのです。彼女達のアンテナは、つねに5年は先をいっていました。それから、彼女たちは、オヤジギャルではありません。オヤジギャルは、こういう先端の女性たちを模倣した大多数の女性たちです。わかりますか?

先端組は、つねに先端なんです。前には、なにもない。いわば、パイオニアギャルです。

彼女たちは、ただ、ホンモノを求めていたのです。

たとえば、渋谷や新橋のガード下の赤ちょうちんの焼き鳥屋。ビールのケースをテーブルにして飲むような店です。彼女たちは、そこで食事をしました。そしてゴールドなどのハコのVIP席でオヤジにタカるのです。もちろん、彼女にとってゴールドなど、遅れた感性の場所でしかない(大多数の後発のオヤジギャルなどにとっては、最先端ですが。)先端組はなにをするのか?彼女たちにとって、そこはミッシーを捕獲するだけの場所だったのです。

さて、ピンドンを2本ほど飲み終わると、さっさとタクシーで帰ります。アッシーなどはうざいので、使いません。さて、家にかえるとどうするか?じつは、帰りません。近所の定食屋で夜食を食べるのです。なければ、平気で24時間の牛丼屋へ入り、ツユダクをオーダーするのです。

ほんもののオヤジギャルは、時代の道なき道を歩み、広告代理店などがそれ見つけて、記事を書く。そうしてオヤジギャルが大量生産されるのです。それをみて、週刊現代が記事を書く。そうして普通のオヤジが、オヤジギャルの存在を知る。そして「これからは、オヤジギャル向けのマーケティングだ」などと考えます。

ところが、すでにパイオニアギャルは、もう違うことをやっているのです。そして、週刊現代を読むのは「え?まだ世間はそんなことやってんの!」とビックリするネタを求めるだけの行動だったのです。

さて、大量生産された真似っこオヤジギャルはどうなったか?、、、そうです、負け組などと最近は言われはじめてますね。くわばらくわばら。。。

今回は、ちょっとややこしかったかな?まとめると、オヤジギャルは模倣者で、その先にはパイオニアギャルがいるのです。そのパイちゃんこそが、時代の土台を創っていっていたのです。その周りで、オヤジは、ピーピー泣いたり吠えたりしていただけなのです。

さぁ、次回はオヤジというにはちょっとまだ早かった、若造達の行動についてです。題して「パンツの覗きかた」。乞うご期待。

それではまた。